ロスチャイルド家の歴史と背景
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死闘、そして運

1852年、ペレール兄弟が設立した動産銀行は「人民が投資可能な銀行」と銘打ち、フランス中をわきあがらせ大成功を収めます。これに気をよくしたペレール兄弟は、今までロスチャイルド家が独占的に行ってきた公債事業にまで手を伸ばし、金融界の頂点に立とうとしました。しかし、オーストリアの全鉄道入手に失敗した頃から、流れが変わってきます。海外への融資はうまくいかず、ルイ・ナポレオンのメキシコ遠征起債は無に帰し、オーストリアの戦時公債を引き受けたはいいものの敗北と同時に公債は暴落、すべてにケチがついてまわりました。こうしてペレール兄弟は消えていってしまったのです。

ナポリ家没落

産業革命により経済力をつけていった各国は、市場の奪い合いから軍事衝突へとエスカレートするようになっていました。かつては戦争を止める事ができたロスチャイルド家も、その影響力が弱まり、とうとう1853年にクリミア戦争が始まってしまいます。戦争を阻止することはできないとわかると、ロンドン・パリの分家はイギリス・フランス・トルコへ資金の調達を行いました。戦争はトルコ側の勝利に終わり、ロスチャイルド家は久々に大きな利益をあげたのです。しかし、間もなくオーストリアとイタリアの戦争が始まり、1861年、ナポリ王国が消滅するとともに、ロスチャイルド・ナポリ分家も没落していきました。