ロスチャイルド家の歴史と背景

ユダヤ人の奇跡

ナチスドイツによって迫害され、アウシュビッツ収容所に収容され、最後には毒ガスなどで殺害された何万人にものぼるユダヤ人の人々。今でこそ生き残った子孫たちによってユダヤ人の人口は増えましたが、当時は最盛期の半数以上がナチスドイツの手によって殺害されました。

ナチスドイツから逃げるためにポーランドの日本大使館にたくさんのユダヤ人が日本行きのビザの発行を求めてやってきました。当時ユダヤ人へのビザの発行は禁止されていましたが、日本大使の杉原千畝が自分の身をかえりみずにユダヤ人にビザを発行しました。ポーランドからの退去を命じられたあとも、ギリギリまでビザの発行を続け、それによって助かったユダヤ人は6000人にものぼりました。

知っていますか?杉原千畝のおかげで生き残ったユダヤ人やその子孫たちが今の世界にどれだけの影響を与えているか。ハリウッドなどの放送業界や科学者、ノーベル賞受賞者やプロサッカー選手など多くのユダヤ人たちが世界で活躍しています。

このページでは、少しだけですが世界に影響を与えたユダヤ人の一族「ロスチャイルド家」をご紹介いたします。

巨万の富を得たロスチャイルド家

世界有数の財閥で今でこそ巨万の富を得ているロスチャイルド家ですが、このロスチャイルド家もユダヤ人です。そのため、長い間迫害を受け、初代マイヤーが誕生した頃、ユダヤ人はヨーロッパ全土において過酷な差別や迫害を受けており、毎日を必死で生き抜いていました。

そんなロスチャイルド家ですが、初代マイヤーが銀行で修業を積み、金融業を手掛け始めたことからロスチャイルド家の栄光の物語が始まります。

マイヤーは自身が昔勉強していた知識をもとに、古銭の価値や雑学などを手書きのパンフレットにまとめ、それを顧客になる見込みのある人へダメ元で郵送しました。するとヴィルヘルムがそのパンフレットを目にし、幸運なことにヴィルヘルム公との取引のチャンスを手にしたのです。

1789年、マイヤーの銀行はついに大銀行と同じ立場で、正式な宮廷の金融機関に加えられました。

ロスチャイルド家2代目

さらに10年後、当時、パリの革命がドイツの流通混乱が起こっていました。綿製品が高騰し、それをビジネスチャンスと睨んだマイヤーの三男であるネイサンはマンチェスターで安く仕入れた綿製品をドイツへ直送販売することで、ロスチャイルド商会は莫大な利益を手にしました。

また、ネイサンは、1815年にあったワーテルローの戦いで、これから価値の上がるイギリス国債を売りに走ります。その時点で勝利を知らない市民は我先に国債を売りました。しかしイギリスは勝利。もともと勝利することを知っていたネイサンは、勝利のニュースが広まる直前に大暴落していた公債を買い戻し、大利益を得ました。まさに「情報は金になる」を実践した瞬間です。

ロスチャイルド家3代目

1867年、南アフリカでダイヤモンドラッシュが始まります。多くの企業が整理される中、「デ・ビアス」と「バルナト・ダイヤモンド」という企業が残りました。

しかしバルナト・ダイヤモンドはデ・ビアスに吸収合併されます。この吸収合併を裏で糸を引いていたのがロスチャイルド家です。デ・ビアスに融資をすることで、独占的なダイヤモンドルートを作り上げたのです。

ロスチャイルド家4代目

多くの革命を越え第一次世界大戦後と第二次世界大戦後という2つの大きな戦争をも耐え抜いたロスチャイルド家。しかし、大戦を耐え抜いたのロスチャイルド家はパリとロンドンだけになっていました。

それでも対戦を耐え抜いたロンドンも、ロスチャイルド父子銀行は経営者が会社を所有していたため相続税が高く、存続危機に陥ってしまいました。ですが、新たに持ち株会社ロスチャイルド・コンティニュエーションを設立し、父子銀行を子会社化することでその危機を乗り切りました。

ちなみにこの乗り切り方は、日本放送がライブドアに買収されフジテレビが乗っ取られそうになった時に使われました。当時から使われていた手法だったんですね。

ロスチャイルド家5代目

5代目にあたるライオネルはエクスベリーでの園芸に没頭、従弟のヴィクターは諜報や政治活動に夢中していたなか、アントニーが銀行経営を一手に引き受けていました。

ロスチャイルド家6代目

諜報や政治活動に夢中してヴィクターですが、息子のジェイコブは銀行の仕事に興味があり「銀行は金の融通だけでなく、顧客に知恵を与え、交易の発展の触媒になるべき」という考えのもと、子会社ロスチャイルド投資信託銀行を設立しました。しかしそのことがロンドン分家を分裂させてしまいます。

それでもジェイコブは他の投資銀行の株を取得したり、保険関連の会社を吸収したりといった具合に次々と事業を拡大し、4年間で資本金を4倍に増やしました。

さらには、突然自社の株を切り売りし事業の縮小をはじめますが、ヨーロッパが戦後最大の景気後退に陥る1990年直前のことで、これ以上にない絶好のタイミングでロスチャイルド家を存続させることにせいこうしました。