ロスチャイルド家の歴史と背景
HOME18-19世紀(2) > 代替わりの見え始め

代替わりの見え始め

1870年7月、ナポレオン3世がプロシャに宣戦布告。しかし、2ケ月後の9月にナポレオン3世が率いるフランス軍は破られてしまいます。このナポレオンの安易な降伏に怒ったパリの市民が籠城、しかし年明けには降伏…当時は、このような戦争と革命が続く、動乱の時代だったのです。二代目にあたる長男アムシェル、二男サロモン、四男カールが1855年に相次いで死亡し、五男ジェームズも1868年に76歳で永眠しました。こうして、ロスチャイルド家も三代目に代替わりしていきます。

初代の遺訓と機転の良さがロスチャイルド家を救う

19世紀後半に相次いだ戦争を生き延びたロスチャイルド家でしたが、分家それぞれに悩みがありました。かろうじて存続したフランクフルト、ウィーンはかなりの痛手を受けており、ナポリ分家は国家の消滅とともに没落していました。とは言え、社会変動の激しさを考えると、犠牲は少なく運が良かったと言えるでしょう。これは、「兄弟の力を合わせなさい」という初代マイヤーの遺訓を守った結果でした。それぞれの分家が住んでいる国同士が戦争を始めるという難しい場面もみられましたが、戦争阻止が無理であればドライに商売に徹し、危うくなれば欺く、といった機転の良さも犠牲を少なくした要因でしょう。